最近はもう本ばかり読んでいる。

 

 

 本当に便利なもので,香港経由で通信できるSIMカード電子書籍リーダーのKindleさえあれば,ここ厦門からでもあらゆる本を購入・ダウンロードすることができる。随分と活字に救われている毎日である。

 

 

 僕は普段,あまり日本の作家によって書かれた小説を読まない。

 

 

 なぜだか自分でもうまく説明はできないのだけれど,海外の作家のものを好んで読む。

 

 

 日本の小説の描写のリアリティが苦手だったのかな,どちらかというと海外の作家のものの方が適度なフィクションとして没入できる気がする。

 

 

 日本の作家の小説はあまり読まない代わりに,エッセイや紀行文,ノンフィクションやルポルタージュは普段からよく読む。

 

 

 こちらはむしろ,身近なリアリティのあるものとして素直に受け入れて,没入せずにさらっと読めるところがいい。特にエッセイの類は,疲れている時によく読むことが多く,僕はこれを「心のスナック菓子」と呼んでいる。

 

 

 こちらに来てダウンロードした書籍を挙げてみよう。

 

佐藤正午「鳩の撃退法」(上・下巻),小学館eBooks

 

伊坂幸太郎「オーデュボンの祈り」,新潮文庫

 

原田マハ「暗幕のゲルニカ」,新潮文庫

 

ドストエフスキー「白痴」,古典教養文庫

 

太宰治太宰治大全」,青空文庫

 

新日本聖書刊行会新約聖書 新改訳2017」,新改訳聖書センター

 

セルバンテス著,片上伸・島村抱月訳「ドン・キホーテ」,古典教養文庫

 

・浅生鴨「どこでもない場所」,左右社

 

星野源「そして生活はつづく」,文春文庫

 

ロバート・ムーア著,岩崎晋也訳「トレイルズ「道」と歩くことの哲学」,株式会社エイアンドエフ

 

フィリップ・K・ディック著,浅倉久志訳「アンドロイドは羊の夢を見るか?」,早川書房

 

ウィリアム・ギブスン著,黒丸尚約「ニューロマンサー」,ハヤカワSF文庫

 

・ジョシュア・フィールズ・ミルバーン,ライアン・ニコデマス著,吉田俊太郎訳「minimalism 30歳からはじまるミニマルライフ」,フィルムアート社

 

・田中泰延「読みたいことを,書けばいい。」,ダイヤモンド社

 

 ジャンルレス,雑多なラインナップ。

 

 

 あまり読まないと言っていた日本の小説もいくつか入っているし,読んだ方がいいのだろうと思っていた古典系もある。あとは相変わらず心のスナック菓子も少々…。

 

 

 これらは何もすべて定価で入手したわけではなくて,仕組みはよくわからないし調べようとも思わないのだけど,電子書籍は時折随分と安く購入できるタイミングがある。

 

 

 Amazonのほしいものリストになんとなく読みたいものを放り込んでおいて,日々それを覗いていると,運が良ければ安くなっているときがある。

 

 

 その時に買うので,これだけ買ってもそこまでお財布に響いているという感じではない,と,思う,たぶん。その偶然感が結構好きで,あえてあまり深く知りたくはないのだ。

 

 

 最近意識しているのは,自分が読みたいと思ったもの以外に積極的に当たってみようという姿勢である。

 

 

 自分の好きな作家とか自分の好きなジャンルばかり読むのは確かに心地よいのだけれど,僕はまだまだ若く,そして未熟である。

 

 

 そこらへんの価値観が凝り固まってしまうのが怖い。

 

 

 自分の価値観をつねに刺激して,ある程度芯はあるものの常に柔らかいものにしていたい。自分のあまり読まないジャンルを頑張って読んでいると,普段あんまり考えないことを考えさせられることが多いのだ。

 

 

 僕の読書体験のおそらく原点であり,視野を大きく広げる手助けをしてくれた場所のことを書いてみる。

 

 

 そこは,今はもうなくなってしまったが,覚えている限り高校三年生の時から8年ぐらいは通ったであろうか。かつて大阪に存在した「スタンダードブックストア」である。

 

 

 本,雑貨,カフェ,トークショー。いろんな要素がその空間には詰まっていたし,何よりも自由であたたかかった。

 

 

 学部生の頃は休日のみならず気が乗らないときは平日もよくここにきて,カフェでコーヒー片手に何時間も本を読んだ。

 

 

 鳥の調査を始めてからも,帰りには必ずここでカレーやサンドイッチを食べて,店で売られている本をカフェでずっと読むことで心も身体も癒されていた。

 

 

 知人・友人もよくここに連れていった。みんな一様にいい場所だ,また来たいと言ってくれた。

 

 

 お店の人たちも絶妙な距離感で接してくれた,深く干渉はせず,そっとしてくれる感じも大好きだった。

 

 

 思い返せば,本当に幸せな時間だった。ここがなくなると聞いた時のショックは非常に大きく,それでもいつか慣れ親しんだ場所から飛び立つことも必要なのかもしれないと自分に言い聞かせて,納得させようとしたが,今でもまだ帰りたい気持ちは残っている。

 

 

 ここと同じ雰囲気の場所を,僕はまだ知らないし,ここがなくなってしまった今もやっぱり僕はここと同じような場所を探し続けている。

 

 

 本店は心斎橋にあって,茶屋町阿倍野にも分店があった。どこの店にもよく行った,特に茶屋町は本当に足繁く通った。僕が好きな本の少なくとも6割ぐらいはここで出会っているんじゃないかな。

 

 

 本当に多くの本をカフェで読ませてもらったし,もちろんお金に余裕があるときは購入もした。僕の習性のひとつである,「疲れたらコーヒーと読書」というのは,まちがいなくここ発祥であろう。

 

 

 世界にはたくさんの素敵な本屋があると聞く。サンフランシスコのシティライツブックストア,パリのシェイクスピアアンドカンパニー書店は,どちらも文化的な背景を込みにして僕にとってあこがれの場所で,まだ行ったことはないがいつか必ず訪れたい場所である。

 

 

 結局,本と本屋とカフェは僕のインフラなんだと,わかってはいたが改めて実感している。

 

 

 ところで,本に対する感じ方は様々で,好きな作家の本を盲目的にいいと感じたり,世間的に評価の高い本をいいものだと思い込んでいる場合もある,と最近うすぼんやりと思っている。今まで読んだ中で,面白い,というか特に記憶に残っている本を列挙してみる。

 

池澤夏樹「夏の朝の成層圏」,中公文庫

 

カズオ・イシグロ日の名残り」,早川書房

 

アーネスト・ヘミングウェイ日はまた昇る」,新潮文庫

 

F・スコット・フィッツジェラルド夜はやさし」,KADOKAWA

 

レイモンド・チャンドラーロング・グッドバイ」,早川書房

 

 ぱっと思い浮かんだのがこの5冊で,その共通項は「情景を思い返せる」という部分だ。

 

 

 理由はわからないが,ストーリーはうろ覚えでも断片的な情景は強く頭の中に残っているし,どれもどちらかというと物悲しい風景で,温かみのある色合いだ。

 

 

 本を読むとき,僕はあまりストーリーには拘泥せずに「情景」を頭の中で思い浮かべる方に労力を割いているのかもしれない。それがばちっとはまった時,強く頭に刻み込まれるのだろうか。

 

 

 あと,おそらく感覚的に好きなのだろうけれど,未だ深く理解することはできず,何度も読み返したりあえて手放して頭の中でぼーっと考え続けている本,というものもある。これは訳者や出版社関係なく,

 

・ヘンリー・デイヴィット・ソロー「森の生活」

 

ジャック・ケルアック「路上」

 

ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟

 

の3作品だ。どれもいろいろな文化やいろいろな人たちの作品・思想に影響を与えている本である。これらははじめ,すべてスタンダードブックストアで入手した。そういう意味でも,僕にとっては特別なのだ。

 

 

 本はたぶん,読まないよりは読んだ方が豊かな心を得られるものなのだと思っている。

 

 

 けれど,どれだけたくさんの本を読んだかとか,古典や名作を読んでいるか読んでいないか,という部分で他人と比較して,読んでいる方が優れているという認識をもってしまうのは,これは違うんじゃないかと思っている。

 

 

 確かに,本を多く読んでいる人の方が対話をしていて面白いと感じるし,この人にはかなわないな。。。と思ってしまうのは事実である。

 

 

 そうであったとしても,そこで劣等感や優越感を感じていては,コミュニケーションが進まないし,どちらの立場であろうが歩み寄ろうとする姿勢はあってもいいのだと思う。

 

 

 これまで接してきた大人たちの中で,不勉強な僕を前にして明らかにこちらを無下にするような態度をとってくる人もいたが,そうはなりたくないな…と思っている。

 

 

 知識を誇示するための読書ではなく,人生を豊かにするための読書。それを実践するためにもいろんな作品に触れて,いろんな読み方をして,価値観が凝り固まることの無いようにしたい,と,ここ厦門の寒い部屋の中で思う。

 

 

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