余裕
滞在は残り1週間。
もうすぐ帰れると思えば思うほど,時間の流れはゆっくりに感じる。
早く帰りたいのだけれど,なかなか時間の流れはそれを許してはくれない。
今回の滞在で得られたものは数えきれない。その中でも特に何回も考えたのが,特に大事ではないものが案外大事だったりするのかもしれない,ということだ。
本当に大切なものは何なのかを考えれば考えるほど,「唯一の本当に大切なもの」よりも「なんとなく大切な複数のもの」を身近に置いておく方が,心は健康でいられるのだろうということを,身をもって学んだ。
今回持ってきたモノは,ほぼ必要最低限であった。
僕は重い荷物を持つことが本当に苦手だ。できることならば,eastpakのバックパックに収まるだけの荷物を入れて,常に手はフリーでありたい,キャリーバッグとかボストンバッグとかも本当は持ちたくない。
でも今回の滞在は2ヶ月間,さすがにバックパックひとつというわけにはいかない。
だからせめて,携行する荷物はグラム単位でも軽くしようと努力した(薬の入れ物を変えたりポーチ類を極力減らしたり)。
特に必要のないものを荷物に入れるという選択肢は,最初から頭の中にあるはずもなく,それが今回大失敗だったなあと,滞在中に何度も何度も後悔した。
ああ,出国の直前に発売されたNintendo Switch Liteなんかを,もし買って持ってきていれば,もう少しいろいろなことを頑張れたのかもしれないなあなんて思っている。
特に大事ではないものとか,あまり生産的とは言えない時間とかが,暮らしの中でたぶん思っている以上に大切な要素だったのだ。
僕は休みを勘定に入れない悪い癖がある。
ちょっとでも時間ができると,貧乏性だから何か生産性のあることがしたいと思ってしまう。そう思いながらもスマホをいじったりエッセイを読んだりして,それに対してちょっとした罪悪感を抱く。
ああ,時間を無駄にしてしまった。本当はもっと頑張れるはずなのに,と後悔する。
このサイクルを続けていると,やらなければいけないことはなかなか進まない上に,長い目で見てどんどん疲弊していくということに,ようやく気が付くことができた。
休むときは思い切り休んだ方がいい。
その時自分の心が求めているものに素直になればいい。それが生産的であろうがなかろうが。そのほうが本筋でやらなけれいけないことも進むはずなのだ。
今回,無駄だと思いながらも持ってきてみた唯一の荷物がある。BICYCLEのトランプである。今回の滞在でのMVPは,このトランプかもしれない。
トランプとは日本での呼び方であって,正式名称はPlaying Cardと言うらしい。
僕がもってきたこのBICYCLEのPlaying Cardはヴィレッジヴァンガードで買った。ECO EDITIONでカード自体は再生紙でつくられており,印刷のインクは野菜からつくられ,ケースも燃やしてもダイオキシンを発生しない,全体的にとてもエコな代物らしい。アメリカ製である。
僕は今回の滞在中で,このPlaying Cardを一度たりとも誰かと一緒に使うことはなかった。
ひとりで狂ったように遊び続けた。Playing Cardを触らない日は一日もなかったのではないか。パソコン作業の合間にカードに触れると,とてもいい気分転換になるし,目の休息にも役立つ。
遊んでいたのはシンプルなソリティアであるクロンダイクとモンテカルロだけである。
クロンダイクは,かつてWINDOWSのPCにプリインストールされていた「ソリティア」そのひとである。調べてみると他にもいろいろと面白そうなゲームは見つかったが,この二つだけで十分に楽しめている。
1から13までの数字,4種類のマークで52枚のカード。これだけでどれほどの可能性を秘めているのか。
Playing Cardの歴史をざっと調べてみると面白い。その起源は中国らしいが,いまのような形になったのは1300年代にヨーロッパに渡ってかららしい。スペードとハート,ダイア,クラブの柄が採用されたものが流通しだしたのが1480年のフランスにおいて,ジョーカーの登場は1800年代らしい(BISYCLEの公式サイトより)。
Playing Card自体の使われ方は様々であり,時にマジックや賭博なんかにも使われているわけだけれど,例えば統計学や確率の発端は賭博に関する理解とも密接に関わっているから,面白い。
研究をやっていく中でダイレクトに関わる「不確実性」について,カードを触りながら想像するのもまた楽しい。
こんな感じでたとえモノはひとつであったとしても,使い手の工夫次第でいくらでも楽しくなったりいろんな用途に使える可能性を秘めているモノに僕は心惹かれる。
例えば,風呂敷とかひざ掛け,寝具代わりのインド綿製のただの布とか,時にアウター,寒い日のインナー,部屋着代わりにもなるウルトラライトダウンベストなど,多用途のものを携行する傾向にある。
荷物は軽くなるし,いざというときにいろいろ便利なモノ。でもそれを突き詰めすぎると,荷物の余裕と引き換えに心の余裕を失うことになる。そのバランスが難しい。
予定していた調査はあと一日で終わる。
けれど僕の厦門での生活はまだもう少しだけ続く。
心の余裕を取り戻すために,今日も僕は部屋でひとり,誰にも邪魔されることなく,ソリティアに勤しむだろう…。