音楽
ホームシックというのは,置かれた環境に疲れてしまい,慣れた環境に帰りたくなる状態のことをいうのだろう。
そうだとすれば,僕はいまそのホームシックにすら疲れてきた。つまり,どうせ帰れないのであれば,日本を恋しく思うのは体力の無駄であると気が付いたのである。
置かれた環境に疲れてしまった際の対処法は,①自らその置かれた環境を離れるか,②どうにかこうにかしてその置かれた環境下で順応して面白おかしく生活していくか,の2択であろう。
今は②しかありえない,離れられない理由があるから,工夫してこちらでの日々を楽しく過ごしていくことに決めた。
まず,こだわりをある程度捨てることにした。
しんどいのは「せっかく海外に来たのだから~」という言葉の呪縛である。
何も中国に来たからと言って,毎日中国らしいものを選んだり食べたりする必要はないのである。
イタリアンを食べようが日本ぽいものを食べようが,とにかくストレスフリーであればそれでいいのである。こんなこだわりを持つには,2ヶ月という期間は少々長すぎるのだ。
あと,こちらでしかできない体験を毎日する必要も,ない。
一日部屋にこもって本を読みたいという衝動を否定してはいけないし,実際その通りにしたほうが頑張りを持続できるということもわかった。
生活とは,休むこと,できる限り心穏やかにいられるような余暇を設けることも込みなのだ。
そんな中,こちらに来て僕を救ってくれているのは音楽である。
日本で,Wi-Fi環境下でダウンロードしてきたものしかほとんど聴かないのであるが,ルームメイトがいないことを幸いに,Bluetoothのスピーカーを日々ジャカジャカ鳴らして聴いている。
段階に応じて,特に救われる音楽というのは推移する。
序盤はNIGO®さんがプロデュースした1966カルテットの,ビートルズのカバーのアルバムをよく聴いた。
僕の両親は,ドンピシャの世代のひとまわりほど下なのだが,ビートルズに首ったけで,幼い頃から家ではビートルズがよく流れていた。
そんなこともあって,ビートルズのメロディは,なんだか無性になつかしく感じるし,それを抜きにしても1966カルテットの演奏は(あと容姿もね、)美しい。
ビートルズは,おそらく僕の想像以上に,ある一定の年代のひとたちの人生に多大な影響を及ぼしているのだと思う。
その断片はきっと,知らず知らずのうちに僕が触れるあらゆるものにも含まれているのだろう,なつかしさの根源はそのあたりとも関わっていると僕は考えている。
序盤から中盤にかけては,鈴木慶一さんが総合プロデュースしたアルバム,『MOTHER』をよく聴いた。
こちらにいる間の娯楽として,ほぼ日刊イトイ新聞の過去の記事を随分と読みなおした。
その中でゲーム『MOTER』に関わる記事も改めて数多く読み直したのだ。
僕の中で『MOTHER』は2しかきちんとプレイはしていないのだけれど,あまりにも大きな存在であることは間違いない。
たぶん,あこがれのひとつの形が,『MOTHER』というゲームなのだと思う。
『MOTHER』をやったことがある,『MOTHER』が好きと表明する同年代の人には,今までひとりしか会ったことはないのだが,そこの感性が合うというだけで,あらゆることを説明せずとも共感できる安心感があるぐらい,ひとつのものさしになり得る。
アルバム『MOTHER』はトラック11にゲーム音源(当時はファミコンのスペックでは同時に鳴らせる音は3音プラス,ノイズという状況からは考えられないほどの広がり,深み,重みを感じる,これは鈴木慶一さんと田中宏和さんの合作の賜物なのだ)が詰まっているのであるが,それ以外は鈴木慶一さんがディレクションした海外アーティストによるボーカルと演奏による再録という内容であり,ロンドンでレコーディングしたという経緯がある,本気なオトナの一枚なのだ。
僕はAmazon Musicで聴いているのであるが,残念ながらトラック10にあたる『MOTHER』の中でも非常に重要な『エイトメロディーズ』が収録されていない(おそらく権利の関係だろう)。
そこは非常に残念ではあるが,特に音楽に造詣の深い人が本気でつくった一枚を,いろんな思いを馳せつつ聴く時間は得られるものが多いのみならず,単純にもう心地よい。
そしていまはもっぱら,私立恵比寿中学のNewアルバム『playlist』をずっと聴いている。
限られたデータ通信量を消費してでも,ダウンロードしたかいがあった。
もうエビ中に対して客観的な視点でもって語る言葉を僕は持ち合わせてはいないのだけれど,今回のアルバムもまた,素晴らしい。
ビッケブランカやポルカドットスティングレイ,マカロニえんぴつ,PABLO,川谷絵音などジャンル問わずさまざまなアーティストによる毛色の違った提供曲によって構成されたこのアルバムは,一枚通しで聴いて,ストンと収まる感覚。
野外調査をしていると実感するのであるが,体力的にもう限界というときでも,音楽を聴くと一時的にまた動くことができるようになるということが多々ある。
その後の身体への反動は言うまでもないが,音楽は僕にとって,カンフル剤として欠かせないものであるらしい。