ストレス
いつの間にか,年が明けていた。
中国では年末年始,特にイベントごとがあるというわけでもなく,授業も普通に開かれている。
こちらのお正月はいわゆる春節というものらしく,冬休みもそれに合わせて設定されている。
だから,日本での時間の流れの感覚とは少し違うのだ,ちょうど僕が帰るころ,こちらでは休みが始まり,日本では休みが終わっている。
休みと休みのはざまでずっと動き続けるのも癪だから,年末年始は本当に何もせずにダラダラと過ごしていた。
最近はストレスについてよく考える。
慣れない海外での生活は,僕に明らかなストレスをもたらしている。悲しいことにそれは毎日の抜け毛・切れ毛の量を見ることで,リアルにわかる。あー,こんなにもダイレクトに身体に響くものなのかと,むしろ感心しながら見ていることしか今の僕にはできない。
こちらに来た時から感じてはいたのだが,日本では常日頃感じていた対人関係に関するストレスはこちらではほぼ全くと言ってもいいほどに無い。
まあ言葉できちんとコミュニケーションがとれないから感じようもないのだろうけれど,それにしても周りの人たちは基本的にみんな親切だし,環境に対するストレス以外は日本にいるときのほうがよほど多いと感じる。
きっと,どこで何をしようと,あらゆる形でストレスはついてまわるのだろう。
日本に無事に帰ったあとも,僕はやらなければならないこと,考えなくてはいけないこと,解決しなければならない問題がいくつもある。
環境に対するストレスが減る分,こういったタスクに関わるストレスがすぐさま僕にのしかかってくるであろうことは想像するに難くない。
だから,日常を快適に過ごしていくうえで「完全に元気」という状態を前提として考えるのはおろかなのだろう。
「ストレス解消」のアクティビティを考えてうまく日常に取り入れて,「ある程度健康な日常」を目指すことが大切なのだろう。
ストレスに関して前々から考えていたことがある。
それは,「あえてストレスを求める気持ち」というものも存在するということだ。
ストレスがすべて悪者でもないのではないかと僕は思っている。例えば。僕は調子が悪くなると無性にRPGをやりたくなるという習性がある。
それもただプレイするのではなく,何か自分の中で制限を課すのだ。例えば,低レベルでクリアを目指すとか,~しか使わない,~は使わないなど,少々苦労しなければ最後まで進めないという状況を自分で作り出し,ギリギリを楽しみたいという欲求がある。
簡単に勝ってしまうのはなんだか面白くなくて,多少困難な問題をつくったうえで自分の工夫で何とかして解決するというプロセスを経ると,いつのまにか心が軽くなっている,という毎回の流れがある。
これは自分であえてストレスを設けていることに他ならない。ストレスを乗り越えると,ちょっとした達成感が得られる,ということを,このプロセスで簡易的に体得しているのだろうと僕は理解している(余談ではあるが研究にも似たような性質があると最近気が付いた。研究がゲームに似ているのか,ゲームが研究に似ているのか…)。
ストレスとうまく付き合うストレス社会。きっとこれから先,自分の工夫だけではどうにもならないことだらけなのだろう。
そんなとき,少しでも自分の身を守れるような予防線は張っておくに越したことはないと思って,普段身に着けるものやルーティン,身の周りの環境に関するあれこれに関しては常日頃から気を配っている。
厦門で生活する中でも,慣れない環境下であっても自分を見失わずになんとかなっているのも,こういった予防線のおかげともいえる。
特に我ながら素晴らしいなと思うのは,鳥の調査をするときの服装と道具である。
屋外で快適に調査することに関しては,今までこれ以上ないぐらい考えつくしてきた。
おかげで,慣れない異国の地であっても今まで培ってきたポテンシャルを十分に発揮できていると感じる。
こういう慣れない環境下に置かれるというストレスにさらされて初めて意識できた,自分のポテンシャルを発揮するための条件は,今後何かの役に立つ予感がしている。
ともあれ,厦門滞在の残りの日数が2週間を切った今,ようやく希望が目に見える範囲にあると感じられるようになった。あと,少し。