過程


 明日,日本に帰国する。

 


 ああ,なんという,待ちわびた文字を今,僕は毎日毎日お世話になったスターバックスコーヒーにて打っている。

 


 今日,こちらの銀行カードとSIMカードを解約した,あとは明日の朝に寮のカギを返すことで,僕の厦門での2ヶ月にわたる生活は全て終わる。

 

 

 そういえばSIMカードを解約したからスターバックスWiFiを使えないことにいま気が付いた。後で大学のWiFiでアップロードするとしよう…。

 


 ここ数日は少々ばたばたしていたから,なかなか文字を打つ時間を設けることが難しかった。いろいろと思うところはあったし,向き合うのもなかなかしんどいなとも思っていた。

 


 まずは,やらなければいけないことをすべて無事に終わらせ,ここまで(一応)元気に過ごせた自分を,褒めに褒めたたえたいと思う。

 

 

 今まで避けてきたいろいろな大事なことを,ショック療法的にここ2ヶ月で一気に摂取したような感覚である。

 

 

 日本の外で,外国人として暮らすという経験はやはり得難いし,きっと自分ひとりではそんなことをしようなどとは夢にも思わなかったであろう。

 

 

 幼稚園の卒園式,将来の夢を壇上で発表する場で「鳥博士になりたいですっ!!!」と叫んだ小さな少年は,紆余曲折を経てみるみる大きくなり,気が付いたら異国の地で鳥を見て,博士を目指しているのである。

 

 

 人生,言ってみるもんなんだな…。僕はここに至るまで,どこまでもパッシブな態度を貫いてきた。環境に依存して,巻き込まれるがまま,自分の意思は最後の最後,何かを決定するときだけひょっこり顔を覗かせる。

 

 

 厦門に行くというのも,自分の内から「本当に行きたい!!!」という感情が沸き起こて積極的に行動したわけでは全くなく,周りの人たちの勧めに乗っかって,とりあえず行ってみたというのが,発端であった。

 


 途中で後悔することもそれはもうたくさんあったし,ちょっとした文化の違いに日々直面する中で,どんどん疲弊もしていった。

 

 

 だから全部が全部とても楽しかったとは全くもって言えないし,帰りたくない気持ち,というものも今はほとんどない。

 

 

 僕は一刻も早く帰りたい。これはたぶん最初から最後までずっと変わらない。

 

 

 ホームシック中のホームシックであるくせに,ほかの人から指摘されたとたんにちょっと見栄を張って「別にホームシックではないですけど?」みたいな態度をとって,人知れずまた疲弊していくというよくわからないサイクルからいよいよ抜け出せるのである。

 

 

 こんなにもホッとする気持ちがあるものなのか…!?と,今はその新しい境地に浸っている。

 


 けれど。それとは別に,「また来たいかもな」という気持ちは,どうやらあるらしい。

 

 

 こっちに友人もできたし,お世話になった人もたくさんいる。どこにいても何かしらのストレスはあるということはよくわかったし,自分の意思100%ではない状況に身を置くことで思考もクリアになることもわかった。

 

 

 自分にとって必要なものについてもよくよく考えることができたし,何よりもこうして「文字として思考の軌跡を残すという遊び」に価値を見出せたことは,自分が慣れ親しんだ環境の外に身を置いたことでより素直に表明できている。

 

 

 ここに残した言葉は,これから先,こちらで撮った写真や実際にあった事実などとはくらべものにならないほど,僕にいろんなことを思い出させるものになるのだろう。

 


 僕はいままで,どちらかというと「過程」よりも「結果」を重視してきた。と言うか,割りと「過程」を蔑ろにしていたように思う。

 

 

 けれど,今は少なくとも「過程」を蔑ろにする気持ちはなくなった。思えば,その萌芽はあるにはあった。

 

 

 例えば,美術館で絵をみるとき,僕が楽しいのはその絵そのものをぼーと眺めるときよりも,筆の跡を至近距離で見るときだったりする。

 

 

 絵が描かれる「過程」に思いを馳せることは,目の前にあるもの以上の大きな何かを想起させるし,受け取り手の想像力次第で得られるものはきっと変わるところが面白いと思っていた。

 

 

 「氷山の一角」という言葉が割と好きで,目の前にあるものや何かしらの成果物に対して,見えているもの以上の何かを想像する姿勢は,コミュニケーションの場においても「思いやり」という形でリンクするな…と思っていた。

 

 

 公表されている学術論文を読むときも,紙面に書かれている以上のバックグラウンドでの作業や苦悩を想像することで,論文を読むうえでのモチベーション維持につなげていた。

 

 

 「過程」を蔑ろにしないというのは,想像力を磨くことにもつながり,優しさを育むことにもつながるのだろうと,今回の滞在で完全に思い至った。

 

 

 こんなことして何になるのだろう…みたいなことも,とりあえずやってみる。

 

 

 目に見える結果が伴わなくとも,その過程そのものにきっと価値がある。そして,目の前にいる人ひとりひとりに想像もつかないほどのいろいろな過程があるし,発した言葉,とった態度のひとつひとつに,その意味以上の何かがきっと含まれてもいる。

 

 

 それを思うだけで少し背筋が伸びるし,自分の内面を成熟させることで人生をいくらでも豊かにできるのだろうなと,わくわくもする。

 


 僕はたぶん,この2ヶ月であまり変わっていないと思う。必要以上に環境に染まることなく,何か屈曲した考えを抱いて帰ることもなく,「国とか性別,年齢問わず,みんないろいろあるんだな…」という漠然とした感想を抱いて,明日帰国する。

 

 

 こっちで食べたいろんな料理,美味しかったな…。けれど,いま僕は出汁のきいたうどんが一刻も早く食べたい。

 

 

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