言葉

 僕は中国語がほぼまったくわからない。

 

 

 学部生の頃のいわゆる第2外国語は,フランス語を専攻していたし,中国語を学んだ経験は全くない。

 

 

 知っている単語はほとんどないし,出会うたびに手元にある「デイリーコンサイス中日・日中辞典」で細々と調べている毎日である。

 

 

 中国語が全くわからないのに短期留学なんて,大丈夫か?と周りの人たちには随分と心配されたものだ。

 

 

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今回,日本から持ち込んでいる唯一の”紙の”本。もともと紙の辞書が好きで,こちらでは英英辞典のペーパーバックがあれば欲しいなと思って探してはいるのだが,なかなか巡り合えない。

 結論から言うと,もし生活のすべてを一人で対処しようとするのであれば,全く大丈夫ではない。

 

 

 相手が何を言っているのか全くわからないのだから,正直お手上げである。もちろん,翻訳アプリ等でなんとかコミュニケーションを図ることは可能ではあるが,内容が込み入ってくればくるほどこのスピード感のなさは致命的で,すべてをカバーできているとは到底思えない。

 

 

 だから,周囲の英語か日本語がわかる人たちの助けを借りることは必須になる。

 

 

 最初は本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで,毎日いろんな人たちの助けを借りている状況というのにむしろストレスを感じてしまってもいたのだけど,今は少し考えが変わってきつつある。確かに迷惑をかけているかもしれない。でもそれでもいいのではないだろうかと。

 

 

 はっきり言おう,中国語が話せない・わからないというので困るのは僕ではなく,話しをしている相手側なのである。

 

 

 これはもう仕方の無い事実であって,いちいち申し訳なく思っていたら身も心ももたない。大切なのは同じ迷惑をかけるにしても,気持ちよくかけようということなのだと,最近は思うようにしている。

 

 

 笑顔とありがとうの気持ちさえもっていれば,なんとかなるのである。そのせいあってか,最近は周りの人たちから優しくしてもらえる機会が学内外問わず非常に多いのだ。

 

 

 きっと,機嫌がいい人と接すると,少なくとも機嫌が悪くなることはないのだろう,と思いたい。

 

 

 厦門では,英語が通じる場所と通じない場所というのがある。

 

 

 大学の外に出ると,英語が通じない場所がほとんどである。だからご飯を食べる時などはなかなか苦労するのだけれど,最近は努めて笑顔で困っていることを伝えると助けてもらえるのだということを知った。

 

 

 だからたぶん,日常生活という意味では,これでなんとかなるのだろうと安心はしている。

 

 

 しかし,やはり中国語がわからないというのは非常に勿体ないことだと痛感するのは,本屋さんに身を置いている時である。

 

 

 こちらに来てから,実に多くの本屋さんに足を運んだ。どこも洗練されて素敵な空間であることはもちろんのこと,その本の一冊一冊が日本の本よりも装丁が美しく,手にとった時にわくわくするのだ。

 

 

 もし,僕が中国語を理解できたならば,この滞在でもっともっと多くのことを学び取って帰ることができたのだろう。「無知の知」を実感した瞬間であった。

 

 

 海外でこんなにも長く(高々2ヶ月ではあるが…)滞在するのははじめてである。誰かに何かしらの思いを伝えようとするとき,母国語ではない言葉で表現しなければならないという経験は,「言葉」というものについて僕に考えさせるだけの十分なきっかけになっている。

 

 

 もともと,英語について学習すること,英語で書かれた何かを読むことは比較的好きであったのだけれど,こと話すとなるとまったくダメであった。

 

 

 しかし,最近はやはり荒療治なのか,英語を使って少しずつ意思疎通ができるようにはなってきていると思う。自分の表明したいことを,言葉のさらに深いところまで考えたうえで,表現する。

 

 

 いろいろな言葉を修得している人たちからしたら当たり前の思考回路なのかもしれないが,少なくとも僕にとっては随分と新鮮な体験だ。

 

 

 だからこそ。だからこそ気になっているのは「日本語」である。

 

 

 日本語は日本語でも,「日本語とは…」みたいな大層なことではなく,もっと身近な,自分が使う・話す・書く日本語について,今とても興味が沸いている。

 

 

 これは「手書き」と「タイピング」というトピックとも関わるのだけど,自分が言葉を,表現を,構成を考えるときのクセや,さらに“良い”表現を磨くためには何を心掛ければよいのだろうといったことまで,考えさせる余地を含んでいる。

 

 

 「言葉」というのは,生きていくうえでどうしても考えざるを得ないキーワードのひとつであり,同時に僕が(おそらく)好んでいるトピックのひとつでもある。

 

 

 異国の地で知らない言葉に触れる,という体験は,自分のなかで眠っていた「言葉」に対する思いを目覚めさせたような気がしてならない。

 

 

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