準備

 もうすぐ、厦門での2ヶ月間の生活が始まる。正直なところ,未だに実感は全くない。おそらくなんとかなるのだろう…と、楽観視している。

 

 

 今回は渡航に際して何を持っていくべきなのかを考える中で,そんなに必要ではないものは何なのか,そして本当に大切で必要なものは何なのかを見極めるいい機会でもあると思っている。

 

 

 もともと,パッキングを考えること自体は趣味のひとつでもある。

 

 

 例えば,普段から着る服ひとつとっても,かさばらないか,あるいは速乾性に優れているかなど,基準はだいたい「持ち運ぶうえで便利かどうか」というところのプライオリティが高めである(そうして,軽量かつ機能的なアウトドア系のアイテムが増えていく…)。

 

 

 できることなら,旅行先でも普段の自分と同じような状態でありたい,という守りがちな思考がはたらく,すぐにチェーン店に駆込もうとするのも同じところから来ているのだろう。平たく言うと、いろんな変化とか未知のものが怖いのだ。自分の周りだけでも見知ったもので固めたいというのは,防衛本能が働いている証拠だろう。

 

 

 適度なストレスが,自分の中の変化を促すひとつのきっかけとなる。そういう意味でも旅行とか遠出はそのひとつのきっかけとなりうるだろうが、あくまでも「適度な」という部分が大切だと個人的には思っている。

 

 

 自身が移動して非日常的な体験をする場合,自分の身につけているモノや携行するモノは使い慣れているほうが目の前の未知なものに全力で対応できるのだ。逆に言うと,日常の中ではあえて「非日常」を取り入れたくなるわけで,要はどこかしらに絶えざる変化を求めることこそが,生き生きと生活することにつながるのではないか。

 

 

 その変化はおそらく「非日常の空間へ赴く場所の変化」か,あるいは「日常における内面的な部分の変化」のいずれか一方であって,両方が同時に訪れることを僕は恐れているのだ。

 

 

 日常を深く知らずして非日常を味わうことは難しいだろうし,非日常にどっぷり浸かり過ぎると何が日常かわからなくなると思う。どちらも大切だし,いずれそこの線引きをする時がくるかもしれない。

 

 

 ともあれ,今回は大移動,圧倒的に非日常である。日常を見直す良い機会と捉えて,新しい発見や学びのみならず心の動きも大切にしつつ,携行する色んなモノについて深く考え,文章化してみることにしよう。

 

 


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次に鴨川の夕焼けを見られるのは,いつになるだろう…。