歩く

 明日から鳥の本調査を始めるにあたって,ここ3日間は調査地の最終確認のための予備調査として,現地をずっと,歩いていた。

 

 

 総歩行距離はおよそ42キロ。今後,1月のアタマまで,毎日10キロ以上は歩くであろう生活が幕を開けようとしている。

 

 

 歩くことは嫌いではない。外出するとき,あるいは旅行中,少しの距離ならば絶対に歩こうとするし,これまで様々な場所で調査を実施してきた中で随分と歩いてきた。

 

 

 いかにして快適に,長時間歩行するのか。それを考えた末にNew Balanceのスニーカーを求めたし,結局は携行している荷物こそが阻害要因なのだと思い,手ぶらで調査を実施していた時期もある。

 

 

 普通に生活をしている中で,そこまで真剣に「歩く」ことについて考えはしないと思うが,面白いことに一日における総歩行距離が伸びれば伸びるほど,そしてその日数が増えれば増えるほど,「歩く」ことを切実に考えるようになるのだ。

 

 

 鳥の調査は,繁殖期(だいたい5月から7月ぐらい)と越冬期(12月から2月ぐらい)にかけて,対象とした空間において複数回実施することが多い。

 

 

 ひとつの空間において一回しか調査を行なわない,といった場合,その場所に出てもおかしくない種がその日はたまたま出現しなかった,というようなことも考えられる。

 

 

 偶然性を緩和するために,3回から8回ほど一箇所につき調査をする。その調査地が僕の場合,毎期,少ないときで30箇所程度,一番多かった時で130箇所ほど対象地として選定するため,否が応でもあらゆる場面で長距離歩く必要がある。

 

 

 思えば鳥の調査は(調査地の選定の基準にもよるが)長距離歩行とは切っても切り離せないのである。 

 

 

 僕は歩くことは嫌いではないが,どうも限度というものがあるらしい。16キロを一日で歩くだけならよいが,それが立て続けに何日も続くと,さすがにガタがくる。今日は少しバテたみたいで気づいたら昼寝をしてしまっていた。

 

 

 また「歩く」ことについて真剣に考えるシーズンの到来である。

 

 

 Kindleに土屋智哉の『ウルトラライトハイキング』(山と渓谷社,2017)という本を入れている。

 

 

 ハイキングのスタイルのひとつ,アメリカ発祥の「ウルトラライト」という概念を紹介する本である。

 

 

 その中で長距離歩くためのコツとして「ストライドではなくピッチを意識すること」というのがある。つまり小さな歩幅でリズミカルに歩くことが,長距離歩行をするうえでは大切らしい。さらなるコツも書いてあるが,まだ無理はしない。少しずつコツを身に着けよう。

 

 

 「歩く」ことが気になって,ここ厦門からAmazonでそれらしい書籍を検索したが,残念ながら電子版で入手できそうなものはなかった。面白そうなものをここに列挙しておこう。

 

 

 ・『ウォークス 歩くことの精神史』レベッカ・ソルニット著,東辻賢治郎訳(2017,左右社)

 

 ・『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』ロバート・ムーア著,岩崎晋也訳(2018,エイアンドエフ)

 

 ・『歩く』ヘンリー・ソロー著,山口昇訳(2013,ポプラ社

 

 

 明日からまた,自分の身をもって,「歩く」ことを考えてゆくのだろう。とりあえず怪我の無いように,無事に調査を終わらせられることを祈るばかり…。

 

 

f:id:moroheiyakue:20191211224414j:plain

 

近況

 なんだかんだで,明日で厦門での滞在がちょうど半分終わろうとしている。

 

 

 35日。

 

 

 半分というと長いような短いような複雑な気持ちになるのだけれど,ここ最近はようやく調査の段取りが整って,いよいよ本調査ができるかどうかというところまで来ており,文章を書く時間を設ける余裕がなかった。

 

 

 それに加えて,ここ3日間ぐらいで佐藤正午さんの小説『鳩の撃退法』をKindleで昼夜問わず隙あれば読んでいたことも余裕がなかった理由である。

 

 

 久しぶりに日本の小説を読んだから,ページをめくる手が止まらず,上下巻を通読するのに3日もかからなかった。そう,普段意図的に小説には手を出さないようにしているのは,見境なく読み進めてしまうからで,今回のようなある程度自由に使える時間がある滞在には,小説を読むのにもってこいというわけである。

 

 

 しかし,何かに夢中になるあまり,本職としての研究・調査がややおろそかになってしまっていたりもしたので,最近は少し焦っていた。今日・明日でおそらくその遅れは取り戻せるであろうという算段だから,なんとかはなるとは思うけれど。

 

 

 最近は大学付近のスターバックスコーヒーで,何も言わずとも「美式珈琲?」と一番小さなカップを片手に言われるようにもなり,少しずつこの場所にも慣れてきてはいる。

 

 

 ただ,寮の部屋に暖房が無いのがつらい。

 

 

 相変わらず日中は日差しが強く暑いのだが,夜になると普通に10度前後になるため,部屋に暖房がないというのは快適からはほど遠い。

 

 

 こちらの先生方の粋な計らいでいただいたビールがまだ数本残ってはいるのだけど,こんなことなら暑いうちに飲み干しおけばよかった…と,日々後悔しつつも震えながら飲んでいる。

 

 

 もっぱら,暖房はウィスキーのストレートをショットグラス(と僕が称している,無印良品で入手したエッグスタンド)でグイっと飲むことで,飲んだのちに気まぐれな温度のお湯がでるシャワーを浴びたら,すぐさま布団にもぐり込む生活を送っている。

 

 

 相変わらず,僕と関わりのあるこちらの学生さんたちはみんな親切で,本当に助かっている。

 

 

 ただ,結局ひとりの時間を満喫するのもまた心地よいので,最近は毎日調査がバリバリと忙しいから遊べないという設定にしている。

 

 

 あながち間違いではないから,ウソではない…だろう。だから孤独とかさみしいといった感情はあまりなく,それなりに順調に日々を過ごすことができている。

 

 

 あとは調査が軌道に乗れば,さらに上機嫌だろう。いろいろ書きたいことはあるのだけど,しっかりと向き合う時間を設けるのが今は難しい。

 

 

 

f:id:moroheiyakue:20191210225708j:plain

 

 

写真

 写真について考える。

 

 

 今まで幾度となく写真について考えてきたつもりであったのだけれど,おそらく向き合っているふりをして,きちんと向き合えてなかったのではないだろうか,と思ってのことである。

 

 

 ぼくはいつから写真が好きになったのだろう。

 

 

 写真に興味を抱き始めた決定的なきっかけを今,僕は思い出すことができない。断片的に覚えているのは,沢木耕太郎さんのノンフィクション,アメリカの報道写真家ロバート・キャパの写真を追った「キャパの十字架」を手にとったときのこと,「印度放浪」,「西蔵放浪」,「東京漂流」という三冊の本を読んだのちに辿りついた藤原新也さんの代表作,インドの情景を言葉とともに収めた「メメントモリ」を手に取ったときのこと,黒々とした装丁にちょっとした薄気味悪さを感じつつも,圧倒的な数の力で魅力を感じずにはいられなかった森山大道さんという存在を知り,その著作を追いかけるようになったことなどであろうか。

 

 

 これらの本を読むなかで,知らず知らずのうちに写真に興味を抱くことになった。

 

 

 あとは建築学科に所属していたがゆえに,いろんなところへ大人数で見学へ行く機会が多かったことも関係していると思う。

 

 

 とりあえず,記録のために写真を撮るのだ。その場に行ったのに何も残さないなんて,なんだかもったいないような気持ちになるから。おそらく当時,そこまで深く考えて写真を撮ってはいなかったと思う。

 

 

 自分で初めて買ったカメラは,NIKONの手のひらサイズの超小型のデジタルカメラで,あれは大学の一回生の時だった。

 

 

 ポケットサイズで軽いから,いつどこへ行く時でもカバンの中に入れていた。設定はほとんどいじれないし,画質は当時のIphoneの方が良い,というレベルではあったが,モノとしてのカメラを常時持つという意味で,このカメラはなくてはならない存在だった。

 

 

 僕はたぶん,「カメラ」そのものに対しては,あまり頓着がなかった。

 

 

 レンズがどうだ,センサーサイズがどうだ,デジタルズームの倍率がどうだ…という点ではなく,とにかく常日頃から持ち歩けて,気が向いたときにさっと撮れればいい。そう思っていた。

 

 

 だからこの超小型カメラは重宝した。やはりスマートフォンで写真を撮るという行為と,(どんなカメラであったとしても)カメラで写真を撮るという行為とでは,何かモチベーションのようなものが全く異なるのだ。

 

 

 研究室に配属されて,野外調査を行なうようになってからも,このカメラは記録用として重宝した。モノが軽いということは,それだけ使用される機会も多くなるのだと,たぶんそこで実感した。

 

 

 このカメラで撮った写真でよく覚えているのは,一回生の冬に同期6人で行った車の旅。その時にこのカメラで撮った写真は,撮れている写真以上に鮮明に記憶に残っているのはなぜだろうか。

 

 

 年月を経て,カメラのステップアップを図りたくなった。

 

 

 博士後期課程に進学して,多少の経済的な余裕が生まれたこと,今後研究を続けていくにあたって,ある意味ひとつの「飯の種」にもなりうる「記録としての写真」に対して,もう少し真摯に向きあいたくなった,ということが,その理由だろうか。

 

 

 数あるカメラの中から僕が選んだのは,RICOHのGRⅡだった。

 

 

 単焦点で「ズームができる」という可能性を自ら潔く排除することで,使う側にフットワークの軽さを要求する小型カメラ。あこがれている多くの著名人がこのカメラを愛用している,という点が決め手でもあった。

 

 

 そう,「あこがれ」という感情。これが,自分の意志とか自我とかにフィルターをかけている本当に大きな要因なのだ。

 

 

 つまり,それは本当に自分で体感して,自分の頭で考えたことなのか?誰かあこがれている人が言っていたことの受け売りそのものではないのか?という自問自答をせねばならないほど,僕は周りのあらゆるものに感化されて,自我とか自分の意志を見失っているのである。

 

 

 「お前は写真のセンスが無い」と,大勢の前で僕が撮った写真を見ながら,お酒の席で言われた経験がある。その場では空気を濁さぬよう,努めて笑顔で場の収拾を図ったが,やはりいつまで経ってもあの経験は僕の中に残り続けている。

 

 

 僕が写真を撮るうえで大切にしてきたのは,あこがれの人のひとりでもある森山大道さんが言っていることをそのままに受け止めた,「とにかく量を撮る」という部分である。

 

 

 量の無いところに質は伴わない。

 

 

 写真の本質とはアマチュアリズムであり,匿名性の高いものだから,そこに表現とか作者の色が意図的に入り込まない方が良い。

 

 

 そういうふうに理解して,視界に入るものすべてを撮ろうと,ノーファインダーでバシバシと撮る。膨大なミスショットの中に,ごくまれに何か光るものが見つかればいいと思って,GRⅡを手にしてから日々とにかく数多くシャッターを切り続けた。

 

 

 特に今回のようにどこか異国の地や普段はなかなか行けないようなお庭に行った際にはその傾向はさらに顕著にもなるため,今は膨大な数の写真がHDDの中で眠っている。

 

 

 しかし,ここでふと立ち止まって考える。確かに「量」を多く撮ってきたのだが,そこに「質」は伴っていたのだろうか,と。

 

 

 きっと,表現の世界に唯一の正解などなく,「センスが無い」というのはあくまでもひとつの物差しで測った結果に過ぎなくて,ただ価値観が異なるだけなのだと思うようにしていたのだが,最近はこの辺りについてよく考えるようになった。

 

 

 もし,「僕が本当に撮りたい写真」なるものが存在するとしたら,あこがれというフィルターによって信じていた(曲解というのかもしれないが)森山大道さんのようなスタンスは,おそらく僕自身の内面から出てきた「撮りたい欲求」そのものではないのだろう。

 

 

 なぜならば,これだけ量を撮ってきたのに実感を伴っていないのだから。僕自身へのフィードバックはどうやら撮った写真の量ほど多くはないということだ,つまり「質」が向上するような意識,撮り方ができていなかった,ということでもある。

 

 

 こんなことを考えるきっかけになったのは,ある写真家さんが関係している。

 

 

 彼はある日,自身が血液の癌であり余命がそう長くはないことを自身のブログで表明して以来,世間からあれよあれよという間に注目されてしまった人である。

 

 

 僕も彼のことはほぼ日のコンテンツで知ったし,最初は実をいうとそんなにも注目はしていなかったのだが,かれの話す言葉や彼の綴る言葉をみるたび,心のどこかで何か惹かれるものがあったのだろう,にわかに注目するに至った。

 

 

 幡野広志さんである。

 

 

 僕は,日々いろいろな文章を目にする中で特に気になったものはほぼ日手帳にその全文を書き起こすことにしている。

 

 

 最近,ほぼ日の長い長いコンテンツである「ネパールでぼくらは。」を読んでいた際に,永田泰大さんと田中泰延さんが幡野広志さんについて書いた記事を,かなりの文量ではあるのだが,書き起こした。

 

 

 そこで書かれていたのは,共通して「幡野さんはなかなかシャッターを切らない」ということだ。

 

 

 雄大ヒマラヤ山脈を目にして,「あれは撮れないですよ,無理無理。」と言う。

 

 

 彼がシャッターを切るタイミングというのはおそらく,目の前のものにただ圧倒されただけでは足りず,まずじっと見ること。考えること。

 

 

 そこから始まっているのではないだろうか。これはつまり,僕がよすがとしてきた「とにかく量を撮る」というスタンスとは字面のうえでは真逆なのである。

 

 

 今まで,何かを撮るときに少しでもじっと見て,考えたことがあっただろうか,と,この記事を読みながら,文面を書き起こしながら考えたものだ。

 

 

 写真というものに正解はないのだろう。

 

 

 「自分が本当に撮りたい写真とは」という問いかけも,何の意味もないばかばかしいものなのかもしれない。それでも,幡野さんの姿勢,まなざしは,僕を一度立ち止まらせるだけの何かを与えてくれた。

 

 

 単にまたそのまま感化され,幡野さんのようなスタンスを鵜呑みにするのでは今までの僕と何ら変わらない。そうではなく,本当に自身の心が動いているのか否か,問いかけるきっかけをもらえたのだと思っている。

 

 

 つまり,いまの僕は自分の中で明確な答えを持ち合わせてはいないし,おそらく答えは出ない中で,その都度その都度何かのスタンスに縛られずに心が動く方向にシャッターを切るということ。振り返った時に,それこそが結果的に自分のスタンスになっているのかもしれない,ということだ。

 

 

 先入観というものは,そのことについての思考を止めてしまうだけの力を持っている。

 

 

 何かの拍子に先入観を払拭できた折りに,思考がまた始まる。言葉として表明することで何かを確かめ,一度解体したのちに,また構築していけばいい。このプロセスを繰り返していくことで,より深く物事を考える姿勢や自由な思考を得ることができるのだろうと信じて。

 

 

 何かを感じたときは,言葉にしてみると面白い。受容するだけではいつの間にか思考が止まってしまうのだと,最近は都度思う。

 

f:id:moroheiyakue:20191204222045j:plain

GRⅡの佇まいが好き。モノとしての存在感に惹かれているから所有している,という理由でもいいのだろう。

 

言葉

 僕は中国語がほぼまったくわからない。

 

 

 学部生の頃のいわゆる第2外国語は,フランス語を専攻していたし,中国語を学んだ経験は全くない。

 

 

 知っている単語はほとんどないし,出会うたびに手元にある「デイリーコンサイス中日・日中辞典」で細々と調べている毎日である。

 

 

 中国語が全くわからないのに短期留学なんて,大丈夫か?と周りの人たちには随分と心配されたものだ。

 

 

f:id:moroheiyakue:20191201223117j:plain

今回,日本から持ち込んでいる唯一の”紙の”本。もともと紙の辞書が好きで,こちらでは英英辞典のペーパーバックがあれば欲しいなと思って探してはいるのだが,なかなか巡り合えない。

 結論から言うと,もし生活のすべてを一人で対処しようとするのであれば,全く大丈夫ではない。

 

 

 相手が何を言っているのか全くわからないのだから,正直お手上げである。もちろん,翻訳アプリ等でなんとかコミュニケーションを図ることは可能ではあるが,内容が込み入ってくればくるほどこのスピード感のなさは致命的で,すべてをカバーできているとは到底思えない。

 

 

 だから,周囲の英語か日本語がわかる人たちの助けを借りることは必須になる。

 

 

 最初は本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで,毎日いろんな人たちの助けを借りている状況というのにむしろストレスを感じてしまってもいたのだけど,今は少し考えが変わってきつつある。確かに迷惑をかけているかもしれない。でもそれでもいいのではないだろうかと。

 

 

 はっきり言おう,中国語が話せない・わからないというので困るのは僕ではなく,話しをしている相手側なのである。

 

 

 これはもう仕方の無い事実であって,いちいち申し訳なく思っていたら身も心ももたない。大切なのは同じ迷惑をかけるにしても,気持ちよくかけようということなのだと,最近は思うようにしている。

 

 

 笑顔とありがとうの気持ちさえもっていれば,なんとかなるのである。そのせいあってか,最近は周りの人たちから優しくしてもらえる機会が学内外問わず非常に多いのだ。

 

 

 きっと,機嫌がいい人と接すると,少なくとも機嫌が悪くなることはないのだろう,と思いたい。

 

 

 厦門では,英語が通じる場所と通じない場所というのがある。

 

 

 大学の外に出ると,英語が通じない場所がほとんどである。だからご飯を食べる時などはなかなか苦労するのだけれど,最近は努めて笑顔で困っていることを伝えると助けてもらえるのだということを知った。

 

 

 だからたぶん,日常生活という意味では,これでなんとかなるのだろうと安心はしている。

 

 

 しかし,やはり中国語がわからないというのは非常に勿体ないことだと痛感するのは,本屋さんに身を置いている時である。

 

 

 こちらに来てから,実に多くの本屋さんに足を運んだ。どこも洗練されて素敵な空間であることはもちろんのこと,その本の一冊一冊が日本の本よりも装丁が美しく,手にとった時にわくわくするのだ。

 

 

 もし,僕が中国語を理解できたならば,この滞在でもっともっと多くのことを学び取って帰ることができたのだろう。「無知の知」を実感した瞬間であった。

 

 

 海外でこんなにも長く(高々2ヶ月ではあるが…)滞在するのははじめてである。誰かに何かしらの思いを伝えようとするとき,母国語ではない言葉で表現しなければならないという経験は,「言葉」というものについて僕に考えさせるだけの十分なきっかけになっている。

 

 

 もともと,英語について学習すること,英語で書かれた何かを読むことは比較的好きであったのだけれど,こと話すとなるとまったくダメであった。

 

 

 しかし,最近はやはり荒療治なのか,英語を使って少しずつ意思疎通ができるようにはなってきていると思う。自分の表明したいことを,言葉のさらに深いところまで考えたうえで,表現する。

 

 

 いろいろな言葉を修得している人たちからしたら当たり前の思考回路なのかもしれないが,少なくとも僕にとっては随分と新鮮な体験だ。

 

 

 だからこそ。だからこそ気になっているのは「日本語」である。

 

 

 日本語は日本語でも,「日本語とは…」みたいな大層なことではなく,もっと身近な,自分が使う・話す・書く日本語について,今とても興味が沸いている。

 

 

 これは「手書き」と「タイピング」というトピックとも関わるのだけど,自分が言葉を,表現を,構成を考えるときのクセや,さらに“良い”表現を磨くためには何を心掛ければよいのだろうといったことまで,考えさせる余地を含んでいる。

 

 

 「言葉」というのは,生きていくうえでどうしても考えざるを得ないキーワードのひとつであり,同時に僕が(おそらく)好んでいるトピックのひとつでもある。

 

 

 異国の地で知らない言葉に触れる,という体験は,自分のなかで眠っていた「言葉」に対する思いを目覚めさせたような気がしてならない。

 

 

f:id:moroheiyakue:20191201223516j:plain

 

こちらで触れる日本

 厦門に来てから,日本の文化について考えることがよくある。どうやら厦門においては日本の音楽や書籍,アニメなどは随分とポピュラーらしい。

 

 

 大学にも,日本語を話せる学生さんが数人いる。彼らに話を聞くと,日本語を勉強し始めたきっかけは,日本のアニメが好きだからだとみんな言う。

 

 

 大学の食堂でご飯を食べている時も,隣から何か日本語が聞こえるぞと思ったら,学生さんが日本のアニメをスマートフォンで流しながらご飯を食べているなんてこともしばしばある。

 

 

 米津玄師を,街の至る所で耳にする。どうやらこちらでは大ブレイクしているらしい。

 

 

 日本の音楽だとやはり久石譲はよく流れているのだが,一番驚いたニッチなところでいうと,大海原を冒険する,任天堂ゲームキューブの名作「ゼルダの伝説 風のタクト」のBGMがとある飲食店で流れていたときである。海鮮料理を提供するお店だっただけに,何か琴線に触れるものがあった。

 

 

 大きなショッピングモールや大学の近くに,日本の食べ物を提供しているお店も複数ある。

 

 

 博多ラーメン,焼き鳥,どんぶりなど,食べてみるとそれなりに美味しい。お店の内装はなかなかユニークな(少々日本を曲解した)ものが多いのだが,それはそれで面白い。

 

 

 本屋さんで本を見ていても,日本の作者の本を翻訳したものは多い。

 

 

 今日見たもので覚えているところでいうと,太宰治夏目漱石芥川龍之介三島由紀夫石川啄木金子みすゞ村上春樹東野圭吾和辻哲郎鈴木大拙荒木経惟森山大道佐藤可士和隈研吾などなど…。

 

 

 あとは日本のライフスタイルに関わる本の翻訳も多かったように思う。松浦弥太郎さんの本とか,「断捨離」に関わる本とか,何か暮らしをシンプルで暖かくする方向を目指すような本。

 

 

 ここまでいろいろな場所で,いろいろな形で,日本のものに触れることになろうとは思ってもみなかっただけに,僕の中で「なぜ日本の文化はここまで自然と溶け込んでいるのだろう」という疑問が生まれた。

 

 

 このような日本の文化には,他国に受け入れられるだけの共通した何か特徴があるのだろうか。自分なりに少し考えてみた。

 

 

 おおもとを辿れば,僕らの文化の源流はすべてここ,中国をはじめとするユーラシア大陸の各国の文化であろう。そこからあらゆる文化が独自に醸成された結果,いまの日本の文化が育まれてきたとすれば,そこには日本の自然環境や気候風土が大いに関わっているような気がしてならない。

 

 

 今,手もとにあるほぼ日手帳の後ろのほうのページを開くと,「二十四節気のこと」というページがある。

 

 

 そこから文言を引用するが,“二十四節気とは,地球から見た太陽の位置をもとに,一年を24の節気に分けた「季節の指標」のこと。日本では古くから,二十四節気をさらに3つずつに分けた「七十二候」,「土用」や「八十八夜」などの「雑節」とともに,季節を把握するための目安として使われてきました。“とある。

 

 

 ひとつ,この「季節」というのは僕の中の最近のキーワードでもある。「生活」を考えるうえで切っても切り離せないものだと認識している。

 

 

 心の動きと季節の動きは連動するのではないか。

 

 

 寒さ厳しい冬を乗り越えて見るサクラ,梅雨明けのからっとした青空,夏の終わりの鱗雲,ふと香るキンモクセイ,寒さとともに日に日に紅さを増していく紅葉。

 

 

 これらはどれも,否応なしに僕たちの五感を刺激する。このような,一年を通して多様に”変化”する環境下で生まれた文化には,何か優しさというか柔らかさというか,それこそあらゆるものとの親和性が高い奥ゆかしくてあたたかい何かを,知らず知らずのうちに含んでいてもおかしくはないのかもしれない。

 

 

 中国語・英語・日本語の三か国語を話せる中国出身の知り合いが,「日本語を話すとき,私は少し優しくなっていると思います。」と言っていたことが忘れられない。

 

 

 日本語を修得した中国人の知り合いは何人かいるのだけれど,みんな総じて少々穏やかそうに見えるから面白い。きっと僕の中にも,日本の環境で生まれ育った僕には見えていない,生まれ育った環境特有の気候風土から受け取っている特徴があるのだろう。

 

 

 「やさしさ」,「やわらかさ」,そして「しずけさ」。僕がずっと求めているものだ。そして,これらが継続的に保たれるために必要だと思っているのが,”変化”というもの,そのものである。

 

f:id:moroheiyakue:20191130231622j:plain

日本の料理を提供するお店にて。

生活

 こちらの図書館は,勉強なり作業をするなり,非常に都合の良い空間である。

 

 

 学生さんたちも思い思いに過ごしている。ソファがたくさんあるのだけれど,横になっている学生さんの数が異常に多い。多くの学生さんたちは寮が相部屋である。4人部屋がほとんどだという。

 

 

 なかなか心休まる場所も無いのかもしれない,図書館はいろんな人たちの受け皿としても機能しているらしい。今日もそんな図書館で朝から作業をしている。

 

 

 最近は自身の「生活」について考えることが多い。

 

 

 何を隠そう,今回の厦門滞在は,この歳にしてはじめての一人暮らしでもある。少々イレギュラーな形ではあると思うけれど,日本での日々の暮らしとはずいぶんと勝手が違う。

 

 

 これはこれでよいものだと思うのは,一日がとにかく長いと感じるところだろう。普段,通学時間片道2時間は,やはりバランスとしてはおかしいことなのだと改めて気づいた。

 

 

 そんな中,日々電車に乗って移動する生活に順応しようとして生まれた,様々な習性なり思考の偏りがあるのではないかと,ぼんやりと考えてみた。

 

 

 「いかにして移動中も快適に過ごせるのか」というのは,普段の僕の生活の中でかなり優先順位の高い思考である。そんな生活と親和性が高い「よく本を読む」という習性。ひょっとすると本を読むことが好き,というのは思い込みであって,こういった移動する生活がメインであるという事情から生まれた,仕方のない習性である可能性も捨てきれないのではないかと。

 

 

 例えば,僕が一人暮らしをはじめたとして,時間があるときに本を読むことを切望するだろうか。

 

 

 時間が生まれると,他にもっとやりたいことがでてくるのではないだろうか。確かに時間が生まれた今,僕は本を読んで過ごすことが多い。

 

 

 しかしこれも悲しい適応から生まれた惰性の延長線上の行動であって,時間を活用するにあたって真に自分の頭を使っているわけではないのではないかと,不安にさえなる。

 

 

 染みついた習性というのは,それだけ強力なのだろう。環境が僕たちに及ぼす影響は,こういった非日常の場に長くいることで徐々に自覚していくものなのだと。 

 

 

 悲しいかな,大阪のベッドタウンで生まれ育った僕にとって,周囲の環境にうまく適応させた活動というものに触れる機会は少なく,身体的・創造的な生活をしていたとは到底思えない。

 

 

 何かするにしても,受け身の活動が多い。読書,ゲーム,映画鑑賞,美術館巡り,喫茶店巡り。これもまた,電車で長時間移動する生活とは親和性の高い行動ばかりである。

 

 

 改めて振り返ったときに,自信を持って「これをすることが好きです」と言える活動がないのではなかろうかと,結局はそういう思考に落ち着く。

 

 

 しかしこれは,あくまでも今までの話であって,これから先どうなりたいのか,何をしたいのかは,まだ無限の可能性があると言ってもいい。

 

 

 環境のせいにするのは簡単だが,僕たちは自ら身を置く環境を変えることだってできる。幸いにして,本を読むという行動は,僕に実に多くの経験値をもたらしてくれてはいるはずだ。そのうえで,僕はこれから何がやりたいのだろう。

 

 

 うすぼんやりと今見えているのは,おそらく受け手に終始せず,何か表現する側にも立ちたい,という思いはあるらしいということだ。例えば,論文を書くことは嫌いではない(好き,とは言い切らないが)。

 

 

 一本の論文を書き上げるうえで,実に様々なことをする必要がある。

 

 

 計画を立て,先行研究を調べ,計画し,周囲のひとたちに協力を仰ぎ,実際に調査してデータ化し,データを分析し,解析するためのソフトウェアを使いこなすためにPC言語だって勉強し,データと向き合い,それを限られた枚数・文字数の中で言語化し,目的と結論が乖離しないような構成を考え,先行研究の結果を適切に引用しつつ今回得られた結果の新規性を表現し,もし海外の学会に投稿するのであれば語学に関する知識だって必要にもある。

 

 

 おまけに発表するならばプレゼンテーションについても熟慮して,伝わりやすいスライドの構成・話の流れについても検討し,実際の数分間のプレゼンテーションの中でそれをいかんなく発揮したならば質疑応答というのもあり…。

 

 

 考えてみれば実に恐ろしく創造的ではある。受け身な自分とつり合いを保とうとして,こういった研究活動に精を出しているということも考えられる。

 

 

 魅力的な人物は,どこか特殊な雰囲気を醸し出している。それは,自分の本流以外の部分を大切にして,生きていくうえであらゆる手段でもって日々の時間を豊かに過ごす工夫をしているからではないか。

 

 

 例えば,アインシュタインはヴァイオリンをこよなく愛したと聞くし,レオナルド・ダ・ビンチは複数の分野においてその才能を遺憾なく発揮した。それだけに打ち込んでいる限り到達できない領域があるのだろうか。何かひとつを極めるというのは,どういうことなのだろう。

 

 

 「新しい何か」と出会うのに,場所は関係ないのではなかろうか。特に今回のように深く内省してみる場合には。どこにいても,何かやってみればいいのだ。

 

 

 「帰ったらやりたいことがたくさんある」。それは確かにそうだろう。でも,本当に帰らないとできないことなのか,それは。

 

 

 今すぐにでもできるのではないか?結局,先延ばしにして何もやらないのではないか,自分の慣れ親しんだものに囲まれて,満足して。本当に大切なもの,本当に好きなもの,どこまでそれにこだわるのだろう。

 

 

 あらゆる状況下でも大切にしたいと思うのが,「生活そのもの」である。

 

 

 身の回りを清潔に保つこと。身体の健康を気遣って食べるものを考えること。ちゃんと睡眠をとること。心に栄養を注げる何かをするために,ある程度時間を確保すること。いろんなひとたちと関わりをもって,ちゃんと感謝の気持ちをその都度表明すること。

 

 

 そういったことは基盤であり,基盤がきちんと整っていないと,精力的に動けない。それは異国の地であっても変わらない。

 

 

 「生活(LIFE)」。いろんな考えの原点であり,”その人らしさ”の源でもあり。生きるために最低限必要なもの,以上の何か。

 

 

 自分の中にいろんな思い・悩みはあって,それらはすべてバラバラではあるものの,みんな「生活」というものと関わりはあるだろうと思った。

 

 

 研究の方向性もまた然り,「生活」を豊かにする,という根っこがあるはず。まだまだ考えるべきことは多い。

 

 

f:id:moroheiyakue:20191129173502j:plain

 

「離見の見」

 投稿していた学術論文(日本語)の一回目の修正が今日,とりあえず終わった。

 

 

 慣れない異国の地での修正,初めは少々不安ではあったが,期日を10日ほど前倒してつつがなく終わらせることができて,今は胸をなでおろしている。スターバックスコーヒーにて,甘い甘いケーキをご褒美に食べている。

 

 

 ひとつの論文を終わらせるたびに,ちゃんと次に何をしようかと考えられることは,僕にとってはとても良い兆候だ。

 

 

 毎回,さっきまでやっていたことにしっかりと「飽きて」,次のことをやろうとする意欲がわく。ひとつひとつにそこまで大きなこだわりがなく,ただ続けていくことに価値を見出す。研究を続けていく上でのモチベーションはいま,それに尽きる。

 

 

 次の研究の舞台はもちろんここ,厦門である。ちゃんと構想は練ってある。明日から少しずつ準備に着手するつもりである。ようやく,ここに来た本懐を遂げられるというものだ。

 

 

 今日で厦門に来てちょうど3週間。決して早かったなとは思えない,それなりにちゃんと毎日しんどい。

 

 

 このような状況に置かれなければ考えなかったであろう様々な想念があり,それを言語化していくのも簡単なことではない。書くことは救いではあるが,決して楽しいとか,好きでやっているという感じでもない。

 

 

 どちらかというと,苦しい。それでもなお,自身の内面と向き合う時間は貴重だし,きっとどこかでそれをやっておく価値はあるとも思うから,こうして毎日時間を設けて文章化している。

 

 

 当たり前だと思って考えすらしなかったことを,突然目の前にすることで考えさせられるという機会が,こちらに来て多々ある。

 

 

 それだけ自身の感情とか感性が錆びついていたということだろう,外の世界を知るということは,自分の思い込みから解脱するうえで有効な手段らしい。日々目から鱗である。

 

 

 今日,ほぼ日の対談の記事を読んでいる中で「離見の見」という言葉に出会った。

 

 

 世阿弥能楽に関する考え方で,演者が自分を離れて観客の立場から自分の姿を見ること,らしい。いま,ちょうど欲しかった言葉と出会えたと思った。

 

 

 最近はTwitterを見ていて,坂口恭平さんと落合陽一さんが接点をもったところに面白さを感じている。きっと出会う人とは,出会うべくして出会うのだろう,と思わされた。

 

 

f:id:moroheiyakue:20191127191109j:plain

学内の川。名前を知らない魚がたくさんいる。鳥に食べられる様子もなく,日々群れているのを見かける。